南スーダン通信A Letter from the Ambassador of Japan to South Sudan

平成27年10月9日

第9回 南スーダンと周辺国の難民の将来のために

今,シリアから欧州への膨大な数の難民が世界の注目を集めています。先月の国連総会でも,大きな問題として取り上げられました。ここ南スーダンでも,難民問題への対応が大きな課題になっています。
4年前の南スーダンの独立,そして2年前の政治危機の発生で,南スーダンと周辺国では多数の難民が発生しました。現在,周辺国から南スーダンへの難民が約26.6万人,南スーダンから周辺国の難民が約76.4万人。それに加えて,南スーダンの国内避難民は164.1万人に上っています。

 

   写真1:空から見たマバン郡の難民キャンプ
   (写真1:空から見たマバン郡の難民キャンプ)














 
   写真2:難民キャンプ拡充地区の住居
   (写真2:難民キャンプ拡充地区の住居)


本年8月,上ナイル州のマバンの難民キャンプを訪問しました。2011年の南スーダン独立を機に,スーダンの青ナイル州で発生した紛争のため南スーダンに避難した人たち約13万人が,今も国境近くの4つの難民キャンプに生活しています。スーダン国内での紛争が収束しない限り,戻るあてはありません。
しかし,そこに住む人たちは,将来を信じて,支援を受けながら日々の生活を営んでいます。住居や水・衛生,医療,教育などの生活環境も,徐々に改善しています。そして,この約13万人を,はるかに人口の少ないマバン郡が,同じく支援を受けながら,あたたかく受け入れています。

 

   写真3:マバン郡病院の視察
   (写真3:マバン郡病院の視察)
 
   写真4:水供給タンクで柏UNHCR職員と
   (写真4:水供給タンクで柏UNHCR職員と)
 

   写真5:難民キャンプの小学校でマバン郡長と
   (写真5:難民キャンプの小学校でマバン郡長と)

   写真6:難民代表者との対話
   (写真6:難民代表者との対話)


日本は,この難民とホストコミュニティの双方を支援しています。マバン郡の病院は,手術室など大幅に拡充して,今や州全体の中核病院として機能しています。また,太陽光発電を活用した水供給システムの整備や,学校の校舎建設と教材提供,住居や道路の拡充,食糧の配給なども行っています。また,UNHCRマバン地区事務所には,間もなく邦人職員が配置される予定です。
住民との対話では,更なる支援の要請を受けました。私からは,国際社会の支援は決して十分なものとはならないが,様々な制約の中で,将来の自立に向けて努力し,幸せになってほしいとの希望を伝えました。

 

   写真7:エチオピアのガンベラ難民キャンプ(写真:UNHCR/箱崎律香)
   (写真7:エチオピアのガンベラ難民キャンプ(写真:UNHCR/箱崎律香))
 
   写真8:ウガンダのキリヤンドンゴ難民キャンプでの職業訓練卒業式
   (写真8:ウガンダのキリヤンドンゴ難民キャンプでの職業訓練卒業式)


 南スーダンが周辺国からの難民を受け入れる一方で,周辺国は南スーダンからの難民を受け入れています。南スーダン国内からはあまり見えませんが,日本は周辺の難民キャンプでも,南スーダン人のために支援を行っています。
例えば,本年3月には,エチオピアのガンベラ難民キャンプへのUNHCR・WFP・WHO連携支援1千万ドルの発表式が行われ,現在実施中です。また,ウガンダのキリヤンドンゴ難民キャンプでは,本年8月にJICAの支援による職業訓練の卒業式が行われました。

 

   写真9:世界難民の日の式典でクオル警察庁長官(中央)と
   (写真9:世界難民の日の式典でクオル警察庁長官(中央)と)
 
   写真10:ミュージシャンのエマニュエル・ケンベ
   (写真10:ミュージシャンのエマニュエル・ケンベ)

 
 今,こうした難民生活を乗り越えてきた南スーダン人が,各方面で活躍しています。本年6月の世界難民の日行事で政府代表として挨拶したクオル警察庁長官は,昔,エチオピアに難民として下着1枚でたどり着いたとのことです。また,今や当地で最も有名なミュージシャンのエマニュエル・ケンベが,昔難民だった時に作った歌を聞いて,胸を打たれました。
南スーダンと周辺国の難民一人ひとりが,日本の支援により現在の厳しい境遇を乗り越えて,将来彼らのように国づくりを担って幸せになるよう願っています。

(以上)